尿意は次第に募る。それに比べて、便意の訪れの速さと来たら、どうしたことか。彼らは不意にやって来る。時に引き、時に押し寄せる。下痢な時、彼らの凶暴さは比類ない。
JR。会社まであと一駅という所。ぼくは、最もドア寄りの席に座っていた。
ドアから新しい乗客が乗って来る。朝の冷えた空気も入って来る。風がぼくの腹を叩く。応えるように、彼らは突然やって来た。
やばい。
けれど慌てない。少し経てば収まるはず。今から電車を降りる選択肢はない。もう戸は閉まる。
冷たい風が腹を打つ。激しさも増す。
ジャケットの前を閉じて、温かさを確保。ウェスト・ポーチも外して、手さげの中へ。腹への負担を減らす。
そうこうするうちに、扉は閉まる。小さく揺れる。電車が動く。加速が加わる。電車は出発した。
あと一駅。あと 3 分。
次第に我慢が祈りへと変わる。早く着け!
あと 2 分。あと 1 分。
ツラさに比例して、時の歩みを遅く感じる。この無力感! 本格的にやばい。額から汗が滲み出る。もう我慢できない。
電車のスピードが遅くなった。間もなく駅だ。そして気が付く新たな恐怖。外気に触れた時、ぼくのお腹は耐えられるだらうか? いや、耐えねばならぬ。忍ばねばならぬ。そこへ告げられるアナウンス。
「ただ今、信号待ちで〜」
ちょっと待てー!
まだ駅着かないの? 更に待てと? まだ時間はかかると?
悠久に思える時を過ごし、電車は再び動き出す。
駅まであと一歩。
見ろ! あれがプラットホームだ。電車が止まるのを、もはや待っては居られぬ。席から立ち上がる。一刻の猶予もない。飛び出すように外へ出る。
嗚呼、しかし! 改札まで人、ヒト、ひと。
普段、ぼくはこの時間を読書タイムに当てる。人の波が引くまで、約 5 分。列に並んで無為に過ごすより、本を読む。この方がよっぽど有意義と思う。
今っ! 有意義とか関係ない。
人の波をかき分けて、改札へ。一歩前へ。改札へ。
改札横のトイレに目が走る。希望はあるのか?
男が一人。待っている。駄目っ。もう涙目っ。二人分も待てない。
改札待ちの列に横から突っ込んで、ショートカット。
見知った顔に出会う。
「おはよう」
かけられた挨拶に返事をしたものか。スマヌ、我はトイレが呼んでいるゆえに。走る。
さあ、最大の選択肢。コンビニか会社か。
コンビニは近い。けれど会社とは方向が遠う。そして、今までの経験上、トイレが空いていたためしがない。却下!
通勤の流れを縫うように走る。走る。走る。
同時に社員証を探す。どこだ? ウェスト・ポーチ!
って、ウェスト・ポーチは手さげの中に入れたんだった。走りながら、ウェスト・ポーチを取り出して。。。
ドサッ。ドサッ。
手帳が落ちた。ポケット・ティッシュが落ちた。
急ブレーキをかけて、手帳を拾い上げる。ティッシュは... ティッシュは。ええい、ティッシュなどに拘っていられぬ! 踵を返し、前へ。ただひたすら前へ。普段息切る距離を、全速力で走り抜けた。
会社。入門。そして、一番手近な扉を開く。
トイレ。トイレ。トイレ。
この建物、一階にトイレがないーー!
二階へ。
よく居るよね〜。階段で? 二列になって話しながら歩いてる人達? 狭いんだからさ。回りの人のこと考えて欲しいねー。追い抜くに、追い抜けないじゃない? そんな人達に限って、ゆっくり歩いてんだよねぇ。
殺意が湧いた。
二人の間をぶち抜いて、上へ。便意の前に、殺意は霞と消える。二階へ。もう、まったなし。
あった! 男子トイレ。中は? 誰も居ない。ツイてる。
手さげ袋を、そこらに放り投げる。ベルトを外す。以下省略。
かうして、ぼくは間に合った。下痢だった。
トイレの中で、ぼくは始業のベルが鳴るのを聞いた。
後記
道中、落として拾い上げたと書いた手帳ですが、会社の前でまた落としていました。落とし物として払って下さった方、ありがとうございます。無事、手帳は私の手に戻りました。