丸谷才一とあらえびす
2012-10-13、作家の丸谷才一氏が亡くなった。享年 87。心不全とのこと。お悔み申し上げる。
このブログを始める時、悩んだのが文体だった。「だ・である調」の常体を用いるか、「です・ます調」の敬体を用いるか。口語調にするか、文語調にするか。
ぼくが文体の参考にしたのは、丸谷才一とあらえびすだった。丸谷才一のエッセイは旧かなづかひを用いている。それでいて、軽快な語り口。最初は仮名遣いに戸惑うかもしれないけれど、一編、二編と読み進めると気にならなくなる。旧かなづかひを使う癖に、旧漢字を使わないのも読み易さに一役買っている。そして話はめっぽう面白い。こんな文章を書きたいと思った。
あらえびすは本名を野村長一といい、野村胡堂というもう一つのペンネームを持っている。世間では野村胡堂の方が有名。あの「銭形平次捕物控」の作者ね。氏は音楽愛好家でもあり、数多い SP 盤を所有していた。レコードのエッセイを書く時に使っていたのが、あらえびすというペンネーム。ぼくはあらえびすの著書は「名曲決定盤」しか読んだことがないのだけど、何十年も前の録音なのに聴いてみたいとひきつけられた。ひきつけたのは、音楽の力じゃなくて、文章の力。彼の文章を真似したかった。
- see also. life@aka: フランクのヴァイオリン・ソナタ by ティボー & コルトー (あらえびすの名曲決定盤を引用した)
そんなわけで、このブログは旧かなづかひを交えた文体でスタートした。
ただし、その文体は今ではほとんど残っていない。第一に、ぼくが俄か旧かなづかひ使いだったこと。第二に、フィードリーダーでブログを読む時、このブログだけ旧かなづかひになっているのは読者に優しくないと反省したこと。書きやすさ・読みやすさを優先させて旧かなづかひは次第に減っていった。その名残は、時々、読者にここはゆっくり読んでもらいたいと思う箇所に現れる程度で残ってる。
常体/敬体の排除
もう一つ、clmemo@aka には大きな特徴がある。それは「だ・である調」の常体も「です・ます調」の敬体も使っていないこと。
「だ・である調」はなんか権威者ぶっている気がした。ぼくは自分のメモをブログとして綴っているのであって、こう上からの物言いはしたくない。他の人は、「だ・である調」で親しみある文章を書くことも出来るかもしれないけれど、ぼくには無理だと思った。
「です・ます調」はまどろっこしい。ブログ開始当初、ネットの技術的な話題を多く扱うと思ってた。技術的文章と「です・ます調」はあまり合わないと常々感じていた。
事実や技術を書くのは常体が良いかと思う。でも、常体は使いたくない。
で、常体も敬体も使わない文体で統一した。このブログで、引用文を除けば「だ・である」で終わっている文はない。「です・ます」で終わる文も一部例外 (コメントへのお礼等) を除いて書いていない。現在形・過去形を用い、体言止めや形容詞で終わる文でブログを綴った。
強いていえば、順接の接続詞に「ですから」ではなく「だから」を多く使うので「だ・である調」に近いと思う。でも、文末については頑なに「だ・である調」を排してきた。
あとがき
文体については、ブログを書き始めて二年目くらいからエントリーにしようと思ってきた。この度、丸谷才一氏死去の報を聞き、ようやっと記事にすることができた。
読んで分かる通り、丸谷才一・あらえびすといった両大家の文章には及びもつかない駄文を書いている。常体・敬体の排除も、書いてて時々しんどくなる。わざわざ、こんな文体にこだわる必要ってあるのかな? なんて疑問も浮かぶ。でも、これが clmemo@aka の味だから。そう自分を納得させながら、今日もブログを書いている。
蛇足
ぼくが持ってるあらえびすの「名曲決定盤」は 1981 年に中公文庫で出版されたもの。原著は 1949 年に出版された。一度、オリジナルの名曲決定盤を図書館で見つけてページを開いてみたけれど、漢字が旧くて読めなかった。ぼくが参考にしているあらえびすの文体は、現代向きに読み易くした 1981 年版であることを記しておきたい。
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