2011-06-13

「チーズはどこへ消えた?」と「バターはどこへ溶けた?」

図書館で 100 ページほどのビジネス書「チーズはどこへ消えた?」(以下『チーズ』) を読んだ。隣に「バターはどこへ溶けた?」(以下『バター』) という本が並んでいたのでそちらも読んだ。どちらも面白い本だった。特徴的なのは、『チーズ』と『バター』では言っていることが正反対に見えること。

本の紹介と自分の考えを書いてみる。

チーズはどこへ消えた?

チーズはどこへ消えた?

本書は三部で構成されている: 同窓会で人物紹介と近況報告をする第一部。第一部の「こんな話を聞いたんだ」を受けて語られる「寓話」の第二部。再び同窓会に戻り、「寓話」を現実世界の問題に照らし合わせてディスカッションする第三部。

寓話には迷路の中でチーズを探す二匹のネズミと二人の小人が登場する。ネズミと小人は大きなチーズを見つけるが、ある日、そのチーズは消えてしまう。ネズミはチーズが日々小さくなっていることに気付いており、現状が長続きしないことを予想していた。チーズが消えた日、彼らは新しいチーズを探しに出る。小人達は、チーズのあった場所から動こうとしない。現実を認めたくない。しかし、小人のうち一人は、恐怖が自分を縛っていることに気付きチーズを探すため古巣を後にする。行動に出た二匹のネズミと一人の小人は新しいチーズを見つける。

ここで語られる「チーズ」は「私たちが人生で求めるもの、つまり、仕事、家庭、財産、健康、精神的な安定……等の象徴」とされる。寓話の中ではいくつもの言葉が大文字で表記される。要約すると「変化に敏感であれ」「変化に合わせて新しい行動しよう」「新しい行動への恐怖を乗り越えよう」の三点。

本書は寓話一つで完結しても十分面白い。加えて、第三部のディスカッションが寓話の良さを引き出している。現実問題における複数のケースに対して、寓話を適用すると「自分はどうするべきか?」を論じている。第三部があるおかげで、寓話を寓話として受け取めてそれ以上考える人が少なくなる。「読者」の場合どう考える? と本が問いかけてくるし、寓話を現実に適用する方法の一端は既に示されている。

本が薄いのも良い。チームで仕事をしていると、新しいことに挑戦しない人が (特に上司に) 出て来る。そんな人に、ちょっと読んでみて、と勧めるのに丁度良い厚さだから。


バターはどこへ溶けた?

バターはどこへ溶けた?

『バター』は『チーズ』の半年後に出版。内容は『チーズ』のパロディーになっている。『チーズ』と同じく三部構成で、一部が同窓会、二部が寓話、そして三部は「ディスカッションする必要はないよね」と言って皆が別れる。

『バター』の寓話には森の中で住む二頭のネコと二頭のキツネが登場する。ネコとキツネは美味しいバターを見つけるが、ある日、そのバターはなくなってしまう。キツネはバターを探しに出かける。一頭のネコはキツネと同じくバターを探しに出かけるが、先にバターを見つけたキツネに追い返される。一方、残ったネコは出かけたネコの安否を案じながら、幸せな日々を送る。出かけたネコが戻ってみるとびっくり。人がバターを用意してくれていた。その頃、キツネは猟師に殺されていた。

ここで語られる「バター」は「追い求めだしたらキリがないもの、財産、名誉、出世、権力」の象徴とされる。要約すると、「今までバターがなくても生きていけたのに、わざわざバターを探しに出かける必要があるのか?」「幸せはここにあるんじゃないのか?」。

あとがき

『チーズ』も『バター』も主人公達は幸せになる。けれど、方法論が違う。『チーズ』は「新しい行動」を起こすことによって、『バター』は「新しい行動」を起こさないことによって幸せになる。

これは「チーズ」と「バター」の象徴が違うことに起因するとぼくは考える。

『チーズ』の世界では「チーズ」が唯一の食料。一時的に失うのは良いけれど、長期的になければ死んでしまう。それは「会社の利益」「生活するための最低限のお金」「体や精神の健康」に当たる。だから、何らかの変化でこれらが失われることがないよう、敏感にアンテナを張りめぐらし、必要ならば「新しい行動」にシフトする必要がある。そうすれば、「会社の倒産」「趣味もなく食べるだけの生活」「病気やケガ」などから逃れられる。上手くやれば、今以上の成果を得ることができる。

『バター』の世界では「バター」は唯一の食料ではない。バターを見つける前まで、ネコたちはバターなしで生活していた。キツネたちがバターを発見して初めて、ネコたちもバターの美味しさを知ることになった。だから、バターがなくなったところで元の生活に戻るだけのこと。バターを「名誉」「出世」「権力」の象徴としているのは、なるほどと思う。名誉・出世・権力を追うばかりが幸せの道じゃない。名誉・出世・権力がなくたって幸せな生活は出来た。

ぼくは『チーズ』と『バター』を読んでこう思った。「チーズ」を探すことは必須事項。けれど、「チーズ」を探し続けて、いつの間にか「チーズ」が「バター」になってはいないか? 「バター」を追い始めていると思ったら、その「バター」は本当に自分に必要なのか考えてみたい。


蛇足: 『チーズはどこへ消えた?』『バターはどこへ溶けた?』どちらがよい本か?

『チーズはどこへ消えた?』『バターはどこへ溶けた?』どちらがよい本か?

『チーズ』と『バター』を比べている本も出ている。読んでみたけれど、「黄色の表紙が良い」とか「お風呂で読んだ」とか脱線話が多くて... あまりお勧めできない。

一つ、ほう、と思ったことがあったので引用。『バター』が『チーズ』の半年後に出版されたことについて...

ダリオ、あんた、本当に善人ね。こんなの、出版社がフリーライターの誰かを雇って、アメリカ人にでっち上げて書かせたに決まってるじゃない。私の見るところ、このイラストを担当した吉沢深雪って人が怪しいわね。小出版社のことだから、ギャラはイラスト込みの買い取り。重版から印税が支払われるってとこかな

真相は闇の中だけれどもね。

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