2011-10-24

トラウマにしない 〜退職にあたって〜

十月上旬に JVC Kenwood を退職したのは過去記事の通り。休職期間満了ということで、書類上はトラブルなく退職が進んだと言える。けれど、ぼくの心の中まで円満だったかと言うとそうでもなかった。今日はそこら辺をまとめてみたい。

イライラの日々

2009 年 7 月に心のバランスを崩した (抑欝神経症)。ささいなことでイライラがつのる様になった。ぼく自身としては表に出さない様にしていたつもりだったけれど、隠しきることは出来なかったらしい。上司に指摘されたし、厳しいことも言われた。

病は気から、と言うように体調も崩れ易くなった。頭痛・腹痛・嘔吐感。特に朝の体調が良くない。遅刻することが一時期増えた。上司から「開発から外れて欲しい」とさえ言われた。戦力外通告を受けたようで大きなショックだった。

イライラと体調不良の日々の中、仕事は佳境を迎え、無茶なリクエストやミス (自分も含めて周りの人達も) も増えた。そして、唐突に休職へと入る。

トラウマにしないで欲しい

バリバリ働いていたのに、休職に入った途端、体が動かなくなった。何をするにも体が重い。音楽を聞いても楽しくない。本を読んでも集中力が続かない。4 か月近く、「一冊の本を読み切る」だけの集中力すら保てなかった。それだけボロボロだった体を、どうやら気合いだけで動かしていたらしい。体職して気合いが抜けたら、本来の疲れが表に出た... と。

この当時のぼくの心情は、会社への不信に満ちていた。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、を地で行っていた。

時を経て体調が良くなってくると、熱い怒りが冷たい憎しみに変わっていった様に思う。

その不信・怒り・憎しみは、今はもうない。

きっかけは退職を決めた (正確には「復職するにはまだ早い」というぼくと主治医の意見を言った) 時の上司の言葉だった。

会社を辞める人を見てきて思うことがある。それは辞めるきっかけになった原因・理由・トラブルをトラウマにしたまま次の会社に行ってしまう人が多いこと。安宅君にはそうなって欲しくない。

ガーンと目が覚める様な言葉だった。そもそも心のバランスを崩したのは大きな仕事をやったストレスが原因で、病気にならないよう自分をコントロール出来なかったのは痛恨事だけれども、結果には満足していた。会社に不信を持つ様になったのは、病気になった後の小さな小さな「嫌なこと」が積み重った結果だった。だから上司の言葉は的を射たわけではなかったのだけれども、それでも心に突き刺さった。

会社に不信を持っている状態。これこそ、今のぼくの「トラウマ」になっているのではないか?

会社不信の原因を一つ一つ思い返せば、自分の過失もあるし、過去のことと流してしまえるトラブルばかり。それらを積み重ねて大切に「トラウマ」へと変えようとしている。心の中のわだかまりが栓をして、嫌な思い出が流れて行かなかった。

そんな時の言葉だった。自分の殻を崩く様な言葉。何より、自分が持っている不信感が「トラウマ」になりかけていると気づかされたことが大きかった。明瞭な形を持たなかった「嫌な感情」に一つの名前がついて、認識した。そうした途端、トラウマを引きずることに馬鹿らしさを感じた。会社にとっても、ぼく自身にとってもメリットがない。

そうして、ぼくの中から会社への不信は薄らいでいった。

あとがき

生きてて嫌なことにぶつかることがあると思う。それがトラウマになってしまうこともある。でも、トラウマにしなくて良いことまでトラウマにしちゃってる人っているんじゃないかな?

ぼくの様に。

そんな人達にこのエントリーを書いた。ぼくを救ってくれた言葉を届けたかった。

心のことなので、読んでハイと納得できることじゃない。ぼくも、休職直後に同じ言葉を聞いていたら、この言葉は心に届かなかったと思う。こういう事を書いていたエントリーがあったな、と心の中に留めておいてもらえたら嬉しい。

おことわり

ぼくは複数の部署を移っているので沢山の上司がいた。また上司の上司も「上司」と一括りに書いている。本エントリーには、何度も「上司」という言葉が出てくるけれど、それは特定の一人を指すわけではない。悪しからず。

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